味覚を始めとする人間の曖昧な感覚について
わたくし「おいしい、おいしくない」という感覚がよく分からないんですよね。何でもおいしく食べられてしまう、めでたいやつです。 ちょっと特殊な食べ物(例えば、くさやとか)になると、あれ? というのはあるのですが、それが「マズイかどうか?」は誰が決めるものでもなく、ただ「自分が好きか嫌いか?」という判断になるという考えです。 人それぞれ「おいしい」の定義は異なる 例えば「うどん」で考えてみると、ある人は「うどんは、コシがあって硬い方がおいしくて好き」と言うけど、ある人は「コシがあるのは硬くておいしくない、うどんじゃない」と言ってみたり、じゃ「おいしいの定義ってなんだろう、誰が決めるの?」と思ったりします。 「お肉」で考えてみても、高級な焼肉屋さんの脂身たっぷりのお肉より、ちょっと硬めの肉の方が好きという人もいますよね。 要するに「おいしい」なんていう感覚は、人それぞれ異なる曖昧なもので、完璧な物差しは存在しないということです。 自信を持って「誰が食べてもこれがおいしい」なんて言う食べ物はないんじゃないかと思います。 体に関する感覚の答え合わせはできない もっと言うと、味覚以外にも「胸焼け」「胃がムカムカする」「肩が凝る」という感覚って、たまたまちょうどいい表現が世の中に浸透しているのでみんなそれを使いますが、現在の自分の体の状態が、そう表現されている状態である、という答え合わせって、どうがんばってもできませんよね。 曖昧な感覚に振り回されず前を向こう 何というか、人間の感覚や認識というのは曖昧なもので、だとしたら、とにかく「マズイ」「つらい」とネガティブな方に振るのではなく、「おいしい」「快適だ」とポジティブな方に考えられたら、人生の捉え方ももっと変わってくるのではと思います。 万人共通する感覚なんて、特に体のことになるとなかなか存在しなくて、曖昧な感覚に頼って自分の言葉で語れないような人生を送るなら、いっそ自分の感覚だけを信じて言語化して、楽しく生きていければ一番いいですよね。 ちょっと小難しいことを書いてしまいましたが、普段からずっとこんなことを考えている訳ではなくて、たまにある「これは、おいしい、おいしくない」という議論に疑問を投げかけてみました。 大切なことは、「自分の感覚を信じて楽しく生きていきましょう」ということですね。